file-120 佐渡の宝、鬼太鼓と民謡を未来へ、世界へ(前編)

  

鬼は、佐渡のスーパーヒーローだ

 鬼太鼓とは、鬼や獅子、笛、太鼓などがチームとなり五穀豊穣、大漁、家内安全などを祈りながら「門付け(かどづけ)」といって集落の家々すべてを回って、悪魔を払う神事です。現在は125前後の集落で行われていますが、それぞれが独自に発展し、継承も口伝のため“同じ鬼太鼓がふたつとない”ほど。例祭日は、田植え前の4月15日を中心とする「春祭り」と、収穫前の9月15日を中心とする「秋祭り」に大別されています。

 神社の神様から集落を守る役目を与えられた鬼たちは、太鼓に合わせて独特の振付で踊りながら、厄災をもたらす悪魔を払いのけていく。踊ることを「舞う」「打つ」ともいい、朝から夜まで丸一日踊りっぱなしというハードな集落もある。雨の中でも一心不乱に舞う鬼と、それを見守る集落の人々(平清水集落)/写真提供:伊藤ヨシユキ

 小倉集落の鬼太鼓はまさに「動」。宮入(みやいり)をしようとする獅子を8匹の鬼が制止する駆け引き。飛んだり跳ねたりと鬼の動きは素早くて、太鼓に勢いよく体当たりしてたたくのも特徴。8匹の鬼が踊る姿は迫力満点だ/写真提供:伊藤ヨシユキ

全身全霊で祈り、悪魔と戦う

鬼太鼓はコミュニティそのもの

 鬼太鼓の起源は定かでありません。登場する最初の文献は延享3年(1746)の『相川例祭絵巻(仮称)』で、片足で立って太鼓をたたく鬼が描かれており、これが鬼太鼓の原型と考えられています。文字としては安永元年(1772)『町年寄伊藤氏日記』の一文。中央で偉い人が亡くなったので太鼓などの鳴り物が禁じられていたのに、佐渡金山の職人たちが鬼太鼓をやってしまった旨が記されています。
※原文「鳴り物御停止之所、四丁目浜ニ而大工共鬼太鼓打爽候ヲ御陣屋ニ而〜」

 

上之山さん

「中学の時に原宿で鬼太鼓のイベントがあり、良い経験をさせてもらったことが今でも印象深い思い出。その誇らしさと感動を今の子どもにも伝えたい」/上之山さん

佐渡太鼓体験交流館

公益財団法人鼓童文化財団の運営で太鼓や芸能に気軽に触れられる佐渡太鼓体験交流館(たたこう館)

「自分も祭りバカですが、もっと上を行く友人もいる。これは代々受け継がれたもの」と笑うのは多田や浜河内集落で鬼太鼓を継承する上之山博文さん。もし現代で禁じられても佐渡の人は鬼太鼓を止めないな…。話しを伺っているとそんな思いがよぎります。
 多田では毎年1月2日が初寄り合い。「若手(わかて/わけし)」から選ばれた二人が世話人となって、その年の鬼太鼓をまとめながら配役を決めます。小学校2〜3年生から参加し始め、かわいい衣装を着て「小鬼(ちぃせぇおに)」にふんし、成長につれて笛や太鼓などの楽器、獅子の役を担います。高校生になると鬼面を付けて「大鬼(おっきぃおに)」としてデビュー。多田や浜河内には、鬼太鼓を指揮する「ローソ」やはんてんを着て鬼の補佐をする「はんてん鬼」または「すけうち」と呼ばれる役もあります。地元に住んでいる人が集まって2〜3週間ほど練習し、当日には島外からも出身者が駆け付けて、いざ、祭りに臨むのです。

 

浜河内まつり1

門付け先では親族そろって鬼を待つ。庭先に引っ張り出されたおじいちゃんは、鬼と絡んで現役さながらの踊りを披露/写真提供:伊藤ヨシユキ

浜河内まつり

みんなで肩を組み、温かい雰囲気の中クライマックスを迎える。鬼、はんてん鬼、黄色い衣装のローソ、笛、太鼓が見られる/写真提供:伊藤ヨシユキ

 祭りが始まると神社で身を清めた鬼たちが、集落を一軒ずつ巡ります。家々は門付けの「花代(ご祝儀)」を渡しますが、例えば千円だとローソがおおげさに「一千万円いただきました!」と口上を述べて盛り上げます。鬼はその家の厄をはらい、獅子は大きな口で家人の頭をパクッと噛んで邪気を食べる。
 一同のために家々はごちそうやお酒を用意して待っていますが、指名を受けると引退したおじいちゃんでも家からひっぱり出されて踊らないといけません。最初は「いいっちゃ、いいっちゃ(いいよ、いいよ)」と遠慮しますが、踊り始めるとさすが昔取ったきねづか、現役でもいけるほどキレのよい踊りを披露してくれます。そして迎える千秋楽。集落のみんなが一体になる瞬間で、浜河内では肩を組んで祭りの最高潮を迎えます。
「物心がつく頃から、振る舞い酒で酔っぱらうおっちゃんたちを見てきて、今は自分がそうなっている(笑)。かっこよくて、楽しくて、鬼にあこがれてきました。もてなす家々ではそれぞれが祭りの定番料理で待っていてくれて、そのごちそうを食べられるのもうれしかった。飲んで騒いで、時にはけんかする大人たちから多くのことを教わりました」と上之山さんは言います。
※鬼太鼓の構成や役の呼び名は集落ごとに違います。

 

鬼たちが、世界に飛び出した

松田さん

松田さんは島内120以上の鬼太鼓団体とつながれる唯一の人物。「今後は鬼に関わる島外の祭りも俯瞰的に見ていきたい」と言う

 さて、佐渡の鬼太鼓博士といえば、NPO法人佐渡芸能伝承機構理事長の松田祐樹さん。「父が鬼の名手で、子供心にかっこよくてあこがれました。身近な人が鬼面を付けてヒーローのように悪魔を払う。今でいう戦隊モノのようですね」。鬼太鼓が島内に広がり、地域に根ざした理由を伺うと「まず集落の青年団活動と合致したこと。それにかこつけてお酒も飲めますから。門付けや悪魔払いが佐渡の人たちに受け入れられたこともあるでしょう」と教えてくださいました。

 

 また、鬼太鼓を大きく分けると5つの型になるといいます。
(1)潟上型/あうん一対の鬼が交互に舞い、集落によっては獅子も絡む。佐渡で最も多いタイプ
(2)前浜型/2匹の鬼が笛と太鼓に合わせて対で踊り、祭りの指揮者であるローソが加わる集落もある
(3)豆まき型/素襖(すおう)と烏帽子(えぼし)姿の翁が升を持って袖を振りながら舞う
(4)花笠型/子どもたちの花笠踊り、3匹の鹿踊りとともに1匹の鬼がしっとりと舞う。地元では「鬼の舞」と呼ばれている
(5)一足型/けんけんするように片足で太鼓に合わせて踊る。金山のある相川地区で、江戸時代に鬼太鼓といわれた原型を継いでいる

 

 しかし、過疎化が進む島内にあって、鬼太鼓の存続は深刻な問題です。島外に出た人を祭りの時だけ呼び戻したり、近隣から助っ人を頼んだり。他にも、新潟大学の学生が2008年から佐渡で合宿をして鬼太鼓を手伝ってくれるなど、佐渡に縁がなかった多くの人からも助けられています。
 松田さんが所属する春日鬼組は、頭(かしら)である齋藤博文さんがアメリカの大学出身で、島内でもいち早く外国人を受け入れてきました。アメリカで指折りの太鼓演奏家、ティファニー・溜渕さんも2004年から佐渡に通って鬼太鼓に触れ、ついには仲間を引き連れて祭りに参加するようになり、北米で鬼太鼓団体まで立ち上げました。

 

太鼓ワークショップ

佐渡太鼓体験交流館(たたこう館)では、個人や団体、国内外を問わず受け入れ、太鼓のおもしろさを伝えている

 このような経験から、両津地域の鬼組5〜6団体が国内外問わず観光客を受け入れられるようにと勉強を始めています。佐渡の太鼓芸能集団「鼓童(こどう)」が毎年8月に開催し、3万人の集客があるフェスティバル「アース・セレブレーション」でも鬼太鼓のワークショップを開いています。鬼太鼓の稽古や実際の門付けに参加できるツアーも試験的に始まりました。

 

鼓童ニューヨーク

世界中にファンが広がる太鼓芸能集団「鼓童」。北米とヨーロッパを1年おきにツアーで回っている/「打男 DADAN」ニューヨーク公演

鼓童ニューヨーク

「打男 DADAN」ニューヨーク公演の会場はブルックリンのBAM。次世代をリードする芸術やアーティストが集う場所として知られる

 島外の人たちが応援してくださる中で、鬼たちも世界へ飛び出しました。2017年3月から始まった「佐渡祭ワールドツアー」です。ニューヨークにある新潟県のアンテナショップを管理している現地県人会会長、大坪賢次さんにお世話になりながら、佐渡の米作り農家である相田忠明さんが発起人となり、上之山さん、法務行政書士事務所代表の藤井健太郎さんの3人が渡米。自然あふれる佐渡とは正反対、世界一のビルの島であるマンハッタンで踊ってきました。想像を超える称賛を浴びて「いつかタイムズスクエアで鬼太鼓をやろう」という大きな夢ができました。
 2018年2月には、松田さんも参加して総勢10名が渡欧。ドイツ・ミュンヘン、フランス・パリ、イタリア・ミラノの3都市で鬼太鼓を披露しました。会場探しから始めましたが、パリ在住の佐渡出身者が奮闘してくれたり、ドイツで修行していた佐渡のハム・ソーセージ・サラミ工房「へんじんもっこ」の渡辺省吾さんのつてから見つかったりと、多くのご縁が鬼たちに道を開いてくれました。

 

佐渡祭ワールドツアー

「佐渡祭ワールドツアー」は鼓童の海外公演期間と重ねて行われ、相乗効果でツアー先を盛り上げた/ドイツ・ミュンヘン

佐渡祭ワールドツアー

「世界で門付けを」が合い言葉の「佐渡祭ワールドツアー」。フランス・パリのCaféAでは3回の公演で約500人が集まり立ち見も出た

「かっこいい、素敵、この地域にも似た祭りがある、佐渡に行きたい…。うれしい反響がたくさんありました。獅子にパクッと頭を噛まれると、日本の人たちと反応が同じでそれもおもしろかった」と上之山さん。
 ツアー名に「佐渡祭」と入れたのは、単なるイベントではなく、自分たちが誇りに思う“本物の祭り”を伝えたかったから。しかし、鬼太鼓を直訳すると「DemonDance(デーモンダンス)」になるそうで、宗教や文化が違う国々にどう本物を伝えるかという課題も生まれました。
 そしてこれからは、感受性が豊かな時代の子どもたちをどんどん海外に送りたいと上之山さんたちは考えています。「自分は大学進学で一度は島外へ出ましたが、芸能の中で育ったから、そして祭りがあったから佐渡に帰ろうと思った。芸能にはそういう力があります」
 松田さんいわく、「鬼とは力が強いものの象徴。強い鬼が敵になるか、味方になるかで人に与えるものが大きく変わります」佐渡では昔も今も、鬼と共生する人々の姿があります。鬼に守られる鬼太鼓の未来はいかに。

 

 後編では、佐渡の民謡を伝える羽茂民謡研究会の皆さんと、その芸と心を受け継ぐ羽茂高等学校郷土芸能部の学生たちとの交流を紹介します。

 


■ 参考資料
佐渡市『佐渡・鬼太鼓入門』(PDF 3.46MB)
佐渡祭公式フェイスブックページ
佐渡祭ワールドツアー2018・ドイツ公演・ミュンヘン・ガスタイクにて


■ 取材協力
松田祐樹さん/NPO法人佐渡芸能伝承機構 理事長
上之山博文さん/公益財団法人鼓童文化財団 地域振興部部長
伊藤善行さん/ご縁の宿伊藤屋5代目 佐渡PRフォトグラファー
      「旅館番頭の佐渡観光情報ブログ

 

後編 → 佐渡の宝、鬼太鼓と民謡を未来へ、世界へ(後編)
「民謡に青春をささげる高校生たち」

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